2017/06/28

無駄なテキストを愛したい

移動時間だけでこのブログを更新してます。電車はひまだからね。

Kuguridoのジョージ先生のブログを読んで「物語」とは?ということを考える。
自分自身、常に文脈を意識し、大きな音楽シーンの歴史の中に音源という点を線に結びつけるような作業をディストロを通してしてきたつもりだ。
しかし音楽の一部である音源としての切り口でしかなく、彼のブログを読んでいると彼の生活から生み出される語りこそがSNSから抜け落ちてしまったもうひとつの物語なのだと気づく。あらゆる事柄が「情報」として拡散されるこのSNS中心の文脈作りは、情報として価値が問われている。それはシステムとして欠陥があるのではないか?

彼の無駄と言えるまでに溢れ出る言葉は音楽の情報としては価値がないが、拡散でも、まとめ記事でもなく、仕事や金のためにかかれたものでもなく、まさしく彼自身の音楽を生み出している彼自身の生活から発信された無駄な語りであり、SNSで損なわれたのはその語りの部分だったんじゃないだろうか。

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