2015/10/03

怒りが、音楽の質を担保する。(怒れ若者編)

前回に引き続きTokyo Unlearnedにて収録された後編は公開されました。
前編のときの記事はこちらになります。
相変わらずハイコンテクストというか背景を説明不足すぎるなぁ,,,
トーク力養成セミナーとか行きましょうかね。

http://tokyo.unlearned.fm/post/130192484617/episode-37-20150930-interview-with-mizutanilong

主にネオクラストについて語っていますが、「音楽の定義」などはなるべく簡単な形で紹介させてもらいましたが、奥のほうへいけばもっともっと深く入り組んだ世界が待っていると思います。以前、ネオクラストが盛り上がって注目されていたときに書いた3LAのネオクラスト記事と異なるのは、僕はこの動きを「クロスオーバー」として定義しなおしていることです。何をもって「ネオ」とするのか。ネオクラスト以降のポストメタル化、ブラックメタル化の動きも、この「ネオ」について考えると捉え易くなるのでは?
キーワードは探究心。

僕は音楽をただの空気の振動だとは思っていません。新しい領域に踏み込んで行こうとする人の冒険心、探究心、勇気について語ることは大切なことだと思っています。結果がどうであれ、僕らが音楽から受け取ったもの、そして伝えて行きたいものは空気の振動だけではないということです。ネオクラストに限らず、パンクやハードコアを語るというときに思想も語らなければ嘘でしょう。

00年代後半に激情ハードコアは失速した、と語りました。多くのバンドがテンプレ化の罠にハマり重要なコアの部分を見失っていました。スペインの片田舎である時代に大量発生したネオクラストバンドはヨーロッパ、そして東欧、アジア、アメリカに流通していきました。ジャンルを流行らせたのはドイツのAlpinistの登場、そしてアメリカで誕生したMasakari、両者が奇跡のスプリットをリリースしたのが2011年。SouthernLordもディスコグラフィ音源をリリースし、Deathwishもそういった音楽性のバンドに寄って来た印象がありました。その後、両バンドとも活動を停止し、盛り上がるかに見えたムーブメントはゆっくりと失速していきました。ネオクラストだったバンド達も音楽性を変化させていきました。幸運にもジャンルとしての形は残り、日本や東南アジア、ロシアやウクライナなどで未だに良い動きが生き残っています。

Alpinist等の第三世代のネオクラストと、スペインのオリジナル勢とを比べるとその方向性は真逆だったと思います。激情ハードコアやメロディック、モダンハードコアとクラストサウンドの組み合わせ、と捉えるのはわかりやすいのですが、スパニッシュ勢はそのクロスオーバー以前に、カスカディアンブラックと同じように自分達の民族、国、流れている血の中に一体何があるのかを見つめなおしたんだと思います。
キリスト教以前に元々の宗教が存在したヨーロッパ諸国とは違い、アメリカの場合は自分達のほうが侵略者ですから、キリスト教憎しという風にはならず、人間はどこから来たのか、どこへ向かうのか、という辿り方をしたのがカスカディアブラックだと僕の中で認識しているのですが、まず大地を讃えそして宇宙へ向かい、最新アルバムで観念的なアンビエントに辿りついたのは納得のいく説明ができます。その三部作からの変貌について納得のいく説明をしたレーベルやディストロ、レビューサイトなどはあったのでしょうか?当時は見つけられませんでした。それはひとまず置いておいて、ネオクラストに関しては核となるのはスペインの血の部分ではないでしょうか。Ictusの歌詞を翻訳していた上地さんも歌詞や言葉の中にあるニュアンスを捉えるために、スペインの歴史から調べながら翻訳をしてくれたのを思い出しますが、あの国の持っている歴史をやはり音楽やその思想に反映していると思います。諦めにも似た怒りや哀しみの感情です。
いま日本や東南アジアが熱いと語っていますが日本の魅力、そこをいかに掘り下げられるか、というところが重要ですよね。

福島郡山の話は前回ブログに書いていた内容でしたね。話した事も忘れてて先走って書いてしまっていました。僕のことを「ネオクラストのドン」と安藤さんは言ってくれましたが、僕より詳しい人は鬼のようにいて、ハードコアというジャンルに関していえば僕はニワカもいいとこだと思っています。でも一つハードコアの良さをあげるとするなら、怒りのエネルギーがとてもポジティブなものを生み出すということです。

怒りについてですが、怒りはとにかく大事です。
3LAディストロを始めた時、レーベルを始めたとき、やはりそれなりに現状に対して怒りは持っていました。始めた当時は本当にエモや激情ハードコアのレビューはポエムみたいなものばかりで読むに値するテキストはほとんどありませんでした。むしろ2chやmixiを重宝していました。あのときの感情があったので今でもレビューは大切だと思っています。レーベルを始めたときにスペイン語の翻訳をうえちさんに頼んだとき、彼も当時リリースされる洋楽の日本語訳についてよく怒っていました。僕もたいしたことも言っていないライナーノーツに対して不満をずっと持っていました。俺等はこうなっちゃいけない。その怒りが結果としてポジティブなものになったと、今では思います。こうしてお誘い頂ける日がくるとは思いもしませんでした。

先日、激情ハードコアがいまやギターロックのサブジャンルに組み込まれているという話をみちのくさんから聞かされたときもそうですが、そういったことに怒りを感じるか感じないかということが分かれ道になるのかもしれません。激情ハードコアが「ギターロック」とかロキノン系のヤワい音楽の一部として認識されてしまった原因は、怒りも思想もない「激情ハードコアみたいな音楽」を垂れ流す「激情"系"」とされるバンド達にあると思っています。そんなつまらん馴れ合いのシーンに甘んじる先輩バンド達に迎合するのではなく、「そんなもんがあんたらの激情ハードコアなのかよ!!俺たちはこうだぜ!!」と、熱いDISを浴びせかける若き激情ハードコア(しかも新解釈)が出て来たら僕は断固支持します。この閉塞感に怒りは感じてないのでしょうか?むしろこのネガティブな状況はチャンスだと思うんですが。何かに不自由を感じるなら、そこに創造性の働く余地があります。

怒りの質が、音楽の質を担保すると言っても過言ではありません。逆に、現状に怒りがないなら怒りの音楽をやっても嘘にしかなりません。演じるだけっていうのも結構惨めだとおもいます。ネオクラストについてもメロコア的扱いをされることには怒りを覚えますが、その怒りがいまこうしてテキストを書かせていると思うと、本当に怒りが消えてしまった瞬間、人がどう変わってしまうのかが怖いです。そのときは廃業ですね。

ここまで読んで、他のバンドと一緒にするんじゃねえカス!という怒りを持っている若い激情バンドがいるなら是非うちのレーベルと組んでほしいです。ご一報ください。


最近いろいろなことを考え直しています。
自分が本当にやるべきことは何なのか。



P.S.
完全に余談ですが、福島についていったマレーシア人のひとりが同行者に洗脳され、帰国後やたら日本のアイドルのツイートをRTしてくるようになってしまいました。
僕はどうしたら良いでしょう...



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2 件のコメント:

  1. ブラックメタル側から3LAさんの活動に注目しているリスナーです。
    コラムの本題からは話がそれてしまい申し訳ないのですが、

    >その三部作からの変貌について納得のいく説明をしたレーベルやディストロ、レビューサイトなどはあったのでしょうか?

    これについては、ブラックメタルではWolves In The Throne Room以前からもアンビエント化するバンドや宇宙をテーマにするバンドが決して珍しいものではないからというのもあるのではないかと思います。
    (それにもかかわず、WITTRの最新作がなぜあそこまで反感を買ったのかは個人的に疑問に思うところなのですが。)
    アンビエント化の有名な例はBurzumやUlver等があると思いますが、それらのバンドとは異なる文脈で、90年代から後のWITTRらと同様に自然崇拝をテーマとし、ブラックメタルからアンビエント化への道をたどっていたIldjarnというバンドも存在しました。
    (んなモン知っとるわ、ということでしたら申し訳ありません。)
    この辺りの流れをWITTRの変遷と重ね合わせて考えてみるのも面白いかもしれませんね。
    https://ildjarn.bandcamp.com/album/landscapes-2
    https://ildjarn.bandcamp.com/album/hardangervidda

    >カスカディアンブラックと同じように自分達の民族、国、流れている血の中に一体何があるのかを見つめなおしたんだと思います。
    >人間はどこから来たのか、どこへ向かうのか、という辿り方をしたのがカスカディアブラックだと僕の中で認識しているのですが

    こうした流れは90年代の後半頃からヨーロッパを中心に活発化した、ペイガンブラックの流れとも符号する部分があるかもしれませんね。
    ご存じと思いますが、ペイガン勢の台頭は有神論的サタニズムをキリスト教的世界観の一部として否定し、反キリスト思想から自分達が本来持っていた土着信仰への回帰を掲げるものでした。
    (そのような保守的な価値観が先鋭化し、やがて過激な民族主義へと至ってしまったのがNSBMのムーブメントだったと思います。)
    彼らの中には自然崇拝や神話・伝承等を題材に、自分達のルーツを探求していく流れでやがて宇宙へと至り、部分的にテーマとして取り入れるバンドも少なくなかったのです。
    ちなみに余談になりますが、某ブラックメタルファンジンの最新刊でも、カスカディア勢やペイガン勢とは全く異なる形で宇宙にアプローチする「Anti-Cosmic Black Metal特集」が掲載されていますので、もしよろしければ今回もまたチェックしてみてください(宣伝)。

    カスカディアンブラックは国内では近年の一大ブームのように語られることもありますが、リスナーの間でなんとなく共通するイメージのようなものはあっても、「それが一体何を示す言葉なのか」、つまり「カスカディアンブラックの固有性とはどこにあるのか」ということについてはあまり議論されることがないように思います。
    ですのでハードコア側からのカスカディアンブラックに関する考察は興味深かったです。
    本題のネオクラストや激情から脱線して長々とコメントを打ってしまい失礼しました。
    もちろん近年のハードコアとブラックメタルのクロスオーバーについても興味深く思っています。
    今後も怒りをもパワーに変え力強くシーンを支える3LAさんの動向に注目していきたいです。

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  2. コメントありがとうございます。(匿名ですが誰のコメントか把握しました)

    カスカディアンブラックに関してはDaymareへのDisのようになってしまいますが、Wolves In The Throne Roomの国内リリースを担当しておきながら商品であるCDの流通だけでなくバンドの思想をなぜ解説しないのかという点において怒りを感じていたという文脈でこのブログを書いていました。確かに色々なバンドがサウンドを変貌させながら進化していましたが、それを国内に紹介する以上レーベルに大きな責任はあるだろうという感じです。レビューブログも音に関しての感想が多くて、なかなかわかりませんでした。

    ネオクラストもカスカディアンも、それに限らず新たなにおこっている音楽のクロスオーバーは実際には一般人であるリスナーのブログや情報交換でしか伝わっていないのではないかと感じます。レーベルの解説や、しっかり書籍として発行されることがないシーンはやがて歴史の中でなかったことになってしまうのではないかと危機感を感じます。90年代後半から00年代のインターネット黎明期にあがっていたネットの情報が今はほとんどなくなってしまったように。ブラックメタルファンジンのように同志で集まりアンダーグラウンドでも何かを残すのは素晴らしいアクションだと思います。かつてカスカディアンブラックを理解しようとした時にいろいろ聞いたり、英文のインタビューを読んだりしていたのですが日本語のテキストの必要性を感じていました。

    ペイガン勢の台頭は有神論的サタニズムをキリスト教的世界観の一部として否定し、反キリスト思想から自分達が本来持っていた土着信仰への回帰を掲げるもの、とありましたがこれはどうやら形はちがってもブラックメタル以外のジャンルでもそういう動きはあるようです。Light Bearerも音楽性は違えど、思想的には同様の動きだと思います。
    大きな流れでみると、これまでの世の中のシステムにほころびが生まれている、社会不安的なところが従来の価値観に対してアンチだったりオルタナティブになるムーブメントの根本にあるのではないかと思います。音楽が世相を映すものであるとしたら...

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