2015/08/04

GLAYから始まるEbullitionの話

だいぶバレているが、ビッグネームが好きだ。
メジャー感のあるバンドの音楽にはやはりそれなりの理由があったりする。
アングラな音楽が好きな時期もあったが何周も経て、メジャーなものの良さに気づいた。
B'zやGLAYの良さ、やっぱりある。


曲を主に作っているTAKURO氏(Gt)は母子家庭なんだよね。
家は貧しかったけど母親が歌が好きでいつも歌っていたから家庭は明るかったらしい。そういう時期があったから、彼には聴いている人を励ます様な歌を作りたいというはっきりした動機がある。ポジティブパワーで作られているので、多くの人に届けばそれはそれで良いと思うわけです。

一方でアンダーグラウンドな音楽というのは↑のようなポップスに馴染めない、言うなれば社会不適合者に共感される要素が多分にあります。
彼ら(あなたも...)は既存のルールからはみ出してしまったが故に、これまでの常識を無視し、時にその爆発的なエネルギーでこれまでにあった常識やルールを覆してしまうことさえあります。以前メタリカの記事でも書いていましたが"アンダーグラウンド音楽の芸術的な価値"というのは、既存ルールを書き換えてしまうようなアイデア、ものの見方、切り口、それらに関わる知性への刺激、に密接に関係していると思います。その価値の根拠が音楽的な要素だけでないからこそ、それらはオリジナルと呼ばれ、クラシックであり続けるというわけです。NWOBHMの勃興、スラッシュメタルの隆盛、SEX PISTOLSの登場、USハードコア...そういったムーブメントは新しい音楽であり、新しい価値観の提示だったという話ですが、ここらへんは今回省略します。


で、「激情ハードコア」の話に無理矢理飛びますが、激情ハードコアのルーツを辿ればEbulltion Recordsに辿り着くのは必然。90年代、Ebullitionというレーベルが提示していたのは当時の新しい価値観、いや新しいというより「こういうやり方、見方もあるだろ?」っていうオルタナティブな提示でした。音楽的にはニュースクールハードコアからの分派という捉え方でも問題ないと思いますが、型にはまることから抜け出し、それぞれのバンドがそれぞれの解釈でハードコアを鳴らしていた時代、その「時代の音楽」が記録され、世界に向けて発信されてきました。そこで重要になってくるのは音楽的な要素はもちろんですが、それ以上にアイデアや思想。音源のひとつひとつにレーベルとしてのメッセージが込められているのも最高。各バンドの音も良いですがレーベルのあり方としてもひとつの手本を示しているように思います。糞みたいな世の中だからこそ、今Ebullitionを再定義し、オリジナルのパワーを取り戻すべきなんです。

日本でいうならenvyやクララ、there is... 後から登場した3cm tour, gauge means nothing, そしてkillie...他にも数々のバンドがEbullition文脈に共鳴して登場しましたが彼らもまたオリジナルな視点を提示した存在です。ジャパニーズ・クラシックです。ものの本質を知るにはオリジナルを知る以外に道はありません。かつて70'sパンクを聴き始めていた20代前半、SEX PISTOLSについて僕はそれほど重要視していませんでしたが今言えることは、当時の僕はアホ以外何者でもなかったなということです。

しかし今でこそEbullitionの評価は確立しているように見えますが、表面的な部分、テクニカルな部分でなく本質についてどの程度まで理解が深まっているのかは謎です。これまでその本質について語っている人を少なくともネット上で見た事はない。これらの本質は実演というボディランゲージでしか語られてこなかったわけです... 多分。

本質を知りたいか?
知りたいのなら教えてやる。
金を払え(レコードに)

音楽は芸術、科学、論理、感情、物理学、心理学などの要素が複雑に絡み合っている。
そして音楽について何がわかっていて、何がわかっていないか明らかになっていない。
ヒントを与えるとしたら言葉の定義こそ重要ということでしょう。

続く

0 件のコメント:

コメントを投稿