2014年4月2日水曜日

メタリカ vol.10 『...And Justice For All』バンド自身のコントロール下を外れた駄作

 

メタルマスターのツアーも多忙の中で制作された1988年作4th。
ここではジェイソンニューステッドのいじめやサウンドの変化については書かない。このアルバムの要素についてのみ書く事にしよう。実際、ニューステッドはいじめられてはいたが彼のアイデアは楽曲にも反映されクレジットにも記載されているし周りや本人が言う程酷い待遇ではなかったという説もある。当事者でない限りゴシップでしかない。逆に言うと、このアルバムには内容と関係ない情報がまとわりついている。実はそれ自体がメタリカの仕掛けた罠なんじゃないかと俺は思っているのだ。(詳細はSt.Angerで解説する)
このアルバムを構成しているのは「機械的になった無機質なサウンド」「やたら長編で冗長な展開」「ベースの音量小さ過ぎ」などなどだろう。たしかに良い曲もあるけれど、前作までのアルバム全体で放たれる圧倒的な熱量というものを感じない。なぜそうなってしまったのか。なぜこんな状態でリリースしてしまったのか。前作までが最高だっただけに、このアルバムは残念すぎる。もったいない駄作だ。
いろいろ問題はあったのだろうが、そのひとつにメタルマスターを完成させてしまったことでメンバーもスタジオエンジニア達に任せていれば良いものが出来上がるだろうと過信していた節がある。超多忙のツアーの合間にスタジオに戻りながらミックスが進められたスケジュールの中で、メンバーは引き返すべきタイミングをすっかり逸してしまった。彼らはサウンドやミックスをコントロールできていなかった。そしてクリフ無き時代の新しい"メタリカ"が始まっていることをメンバー自身が認識できていなかった。もっと簡単に言うなら作品完成へのアイデアが足りていなかった。しかし政治的な歌詞やONEでのミュージックビデオなどいくつかの偉業は成し遂げているのは救いだったのかもしれない。
結果として本アルバムの楽曲達はあっという間にライブのセットリストから外れてしまい、BlackendやOneあたりがレギュラー入りすることになった。「無機質なサウンド」、ではあるがバンドの不完全さを伝えているという意味では非常に人間くさい。本作での失敗があったからこそ彼らは自らをコントロールする重要性を再認識したのだろう。次作『ブラックアルバム』では新しい方向性を定め、世界のヘヴィロックに革新を起こしたのだから。
このアルバムが伝える最大の教訓は
・自分の作品は自分でコントロールしないと大変なことになる。
ということだろうか。