2014/01/23

DIYは物を安売りすることではない

killieの人が執筆しているコーナー「事情聴取」が楽しみでdepOnを毎号スタジオで貰ってくるのだがここ数回、お金についての話しを小出しで書いている。特に気になったのは「値段を安くして売るのがパンクだと思っている人もいる」や「ディストロもはっきり言ってネットが存在する時点で半分以上の意義を失っている様に思うし(中略)本気で値段を安くして入荷、販売しても見向きもしない人が沢山いる」云々の記事で、読みごたえのある内容だし考えさせられることが多い。
もちろん彼の全てに同意しているわけではないが、音源の値段を安くするという行為やフリーダウンロードには個人的にも商売的にも反対だ。自分で商品となる音楽を生産から販売まで携わるようになってから、コストの計算がいかに大切か、そして回収するのがいかに難しいかを身にしみてわかってきた。音楽や音源には原材料費以上に時間と人の手が掛かっている。レーベルがフィジカルでリリースしている音源をフリーダウンロードにするバンドもいるし、ほぼ原価で提供するディストロも存在するしそれ自体はそれぞれ自由にやればいいのかもしれない。もしかしたらそれなりの戦略があるのかもしれない。
しかし実際に掛かっているコスト(時間、人も)を評価しないという行為は残業時間をカウントしないブラック企業と同じではないのか。それは一体何の為になっているだろうか。DIYは安売りのことではない。パンクも仲間内で回すだけで終わる音楽ではない。自分達のやっていることの価値をきちんと評価しているミュージシャンは決して安売りなどしない。メタリカの『Ride The Lightning』のように自分達の音楽の力で新規市場を開拓し、そこで自分達の音楽を売り金を得て、そして自分達が生活していく。この精神がパンクのDIYなんじゃなかろうか。

2014/01/22

メタリカ vol.8 『Ride The Lightning』最高傑作の誕生とスラッシュメタルとの決別



前回紹介した1st"Kill Em All"から1年後くらいにリリースされたのがこの2nd
"Ride The Lightning"で、この作品がスラッシュメタルとしてのメタリカの最高傑作だ。
アルバムのレコーディングは1st後のツアーの合間をぬうような形で行われており楽曲自体はKill Em All期のツアーでも演奏されている曲が多い。作曲のクレジットにもまだデイヴムスティンの名前も載っているように楽曲の原型はバンド初期からあったと考えて良いだろう。しかしバンドアンサンブルの次元の進化はすさまじい。前作からたった一年でこんなにもバンドは変わるのか。曲の激しさや重さを表現することにおいて、ディストーションをかけすぎる必要もないしスピードに頼る必要もないということを彼らは既に知っているのだ。つまり場合によって曲のスピードを落としじっくりとしたアレンジでも激しさも重さも怒りも表現できるということを実証しているわけある。楽曲のテーマもビジョンも全てが桁違いだ。メタリカがNHOBHMに強く影響されたヨーロッパスタイルのスラッシュメタルだということは常々いわれていることではあるがアメリカのシーンに異なる方法論で勝負を挑んでいった彼らだからこそ確立できたオリジナリティであり、それは英国ブリティッシュロックの伝統こそが最強のロックの歴史そのものなのだと証明しているかのようである。美しさと激しさを兼ね備えており楽曲も非常にドラマチックであり、この世にリリースされたスラッシュメタルのアルバムの中でも一切の隙のない全てが完璧に構成された最高傑作である。
このアルバムでは既に後続のスラッシュメタル勢とははやくも距離をとりはじめていることも注目に値する。当時既にラーズはメロディアスに、より聴きやすくなったアルバムに対しての賛否両論を予測していたが(そしてその予想通り一部のガチ恋メタルキッズからはセルアウト的に批判されている)インタビュー等でも楽曲をスタジオで組み立てていくスタジオワークを楽しみ始めているというようなことも言っているし、ただのメタルキッズではなくミュージシャンとしての資質が開花し始めていることの現れだろう。
つまりももクロで例えるなら"Kill Em All"="ももいろパンチ"なのであり、"Ride The Lightning"="怪盗少女"なのである。新しい領域に足を踏み込む為には古いしがらみにとらわれていては進めないのだ。""怪盗少女"(それは新規顧客へむけての自己紹介ソングであり、彼女達を既に知っているオタ達に向けて歌われたものではない)でこれまでの従来アイドル路線を完全脱皮し、保守派古参オタを切り捨てて進んでいったようにメタリカもより新しい次元に向けて進む為に脱皮したのである。それは最高傑作誕生と同時に、スラッシュメタルというシーンそのものと決別した瞬間でもあった。
そしてもう一点、このアルバムはバンドとしてのメタリカによって作られた最後の作品であると思っている。以降のアルバムはバンドとしてだけではなく、より大きなチームとして作られていく作品である。