2013/12/23

メタリカ vol.7 バンド体制を整えたKill 'Em All期



こうしてデモテープも好調だったMetallicaは遂にアルバムを制作する。
最近ではヘドバン誌でも何故か特集が組まれたメタリカの1stであり、スラッシュメタル時代の幕開けを告げる一枚だ。収録曲のいくつかはデモテープと同じ曲であるがこのアルバムをきっかけとしてメタリカは多くのリスナーを獲得していく。
多くの後続スラッシュメタルバンドが1枚目2枚目あたりで体力が切れて倒れていく中で先行者であるメタリカは何故その後もクリエイティブに活動を続けていけたかといえば、このアルバムの制作にあたりメンバーを入れ替え、バンド体制を整えなおしたことが大きい。ラーズの頭の中には既に『Kill 'Em All』以降のバンド活動を想い描けていたはずだが体制の脆弱さも感じ取っていた。ギターの腕は立つがアル中状態で不安定なリードギターと可もなく不可もないベース。それら不安定要素であるメンバーを解雇し、更に次のステージにバンドを進める為にカークハメット(Gt), クリフバートン(Ba)を加入させ初期オリジナルメンバーが揃う。組織力が無ければこの先戦うべき競合(それもアンダーグラウンドではなくメジャーフィールドのバンドに)勝てないことをわかっていたのだろう。実際ライブを観れば一本調子のカークよりもデイヴのほうが華があるし単純にかっこいいが、アル中で話しも聞けず喧嘩を繰り返すようなバンドでは長くは続かない。『Ride The Lightning』『Master Of Puppets』のような叙情的で構成美に富んだ作品は個人技で達成できるものではなく、チーム力が大事になってくる。その為には妥協せずに最強の布陣を作らなくてはならない。ベーシスト獲得の為にメンバー全員が住んでる場所を引っ越すということも必要なのだ。
またスラッシュ・メタル/攻撃とスピードの暴虐史 [DVD]でも触れられているようにメタリカは地域でのコミュニケーション活性化にも一役買っている。自分たちの家をほぼ解放し多くのメタラー達のたまり場にし、ライブハウスやバーでのパーティー、前回でも触れたテープ音源交換、ファンジンのレビューなど多くのコミュニケーションの場を作っていった。某芸術家によると、レコードのような芸術作品がどのように価値をもつかというと、それを介してコミュニケーションがいかに生まれるかが重要だという話をしていた。メタリカについて誰かが誰かに語りかける。彼らは音楽性を極端に激しいものにするといいう表現方法だけでなく、周りの状況を変え、コミュニケーション生み出していけたのが初期の大きな勝因なのだと思う。

2013/12/03

メタリカ vol.6 まずどこに支持されたのか



時系列がめちゃくちゃになってしまったのと話が進まないので、音源を追いながら進めていくことにします。
これは以前も紹介した1st発表前に作られた伝説的デモテープ。
メタリカがアンダーグラウンドで支持を集めたきっかけとなった重要な作品だ。
メタルマニア達のテープ交換やアンダーグラウンドファンジンのサポートが初期のメタリカの躍進への援護射撃となったことは有名だ。

当時のアメリカのシーンにおいてはヨーロッパのメタルやNWOBHMを聴いているリスナーは非常に限られていたが皆がマニアックな熱量をもっている時代でもあった。
そしてラーズはヨーロッパのシーンに詳しく、家庭も裕福だったので多くのレコードを所持していた。NWOBHMにも通じておりコレクターとしても名高い。
当然今のようなネット環境もなく音楽情報は限定的で友人同士のテープ交換やファンジンがアンダーグラウンドでの情報交換機能を持っていたため、大量のコレクションを所持するラーズは人脈もできてくる。(実際メタリカというバンド名は友人がつけようとしていたファンジンの名前を「それイイネ」といって貰ったもの)
一度マニアが気に入ってくれれば、彼らは喜んでその音源を友人間でデビングし交換していく。そうやってSNSがない時代にメタリカの音源はアナログな方法でソーシャルマーケティングを無意識のうちにかましていくわけである。テープは何回も焼き回され音質は劣化していくが、聴けなければ聴けない程聴いてみたくなるのも人間の性である。

そんな感じでアメリカのバンドながらヨーロッパ的なセンスをもったメタリカの音源は浸透していく。
完全に口コミの世界ではあったが友人間、そして信頼できるファンジンのレビューがあったからこそ彼らとメタルマニアとの信頼関係は築かれていく。これは俺たちのバンドだと。
これがもし有名なDJがラジオで曲を流したとか、どこかのプロデューサーがデビューさせたとかだったら後の成功はなかっただろう。メタリカはメタルファンが始めたバンドで、最初期においてはファン目線だったのだ。ラーズはもっと本格的なバンドを望んでいただろうが最初からそれを狙ってはいないし不可能だ。
まずはバンドを始めること。音源をつくること。
そして一番味方にしたいところを味方につけるというポイントがこの音源では重要だったと思う。