2013/11/25

帰還

リリース関係で忙しく更新してないけど今日から復活します。

2013/11/07

メタリカ vol.5

今回は芸術とは?という話。先日紹介した本の内容とリンクしている部分があったため書き残しておく。

以前のエントリーでも少しだけ紹介していた『芸術起業論』(amazon)『ルールを変える思考法』(amazon)で書かれている内容が少しだけメタリカのこれまでの話とリンクする。

『芸術起業論』というのは村上隆さんが何度も著作で説明しているアレですごくざっくり言うと、欧米の芸術には歴史や文化、文脈というものがあるのでそのステージで戦うにはその文脈はしっかりと押さえた上で自分の芸術がいかに価値があるのかを説明しなければならないというようなことを言っている。つまり好き勝手にやってるだけじゃだめで、それがどのような文脈でどういった価値を持つのかが大事なんだってことらしい。天才ではなく凡人である我々が戦うには努力をしていくしかない。村上氏も天才型でなく努力型で、どうしたら欧米で勝ち上がれるかを考えていた人。メタリカというかラーズもたぶん天才じゃなくて色々考えてた人。スラッシュメタル(当時はまだ呼び名もなかった彼らのサウンドスタイル)をどのように認めさせればいいのか考えていたんじゃないだろうか。

『ルールを変える思考法』ではコンテンツとは何かということを論じているのですが、これも音楽の話と似ていて、人が面白いと感じるものは説明不可能なものであると言っています。説明可能なものは理解することができるので人を惹きつけない。その先の説明がつかない要素、すごいんだけど理解できないっていうのが重要なんだというようなことを言っている。たしかに当時スラッシュメタルというジャンルが確率されていなかった頃、メタリカの荒々しく高速で激しいメタルサウンドは一体なんなのか説明がつかなかったことだろう。

たまにネット上でパンクはルール破ってなんぼだというような意見があるが、パンクにもメタルにもルールがある。積み重なって来た文脈がある。そこから完全に外れたらそれはパンクでもメタルでもないのである。つまりBABYMETALがメタルかと言われると(中略)メタリカが新しいスラッシュメタルという概念を提示するにあたって、人から全く理解されないサウンドでは勝ち上がることはできなかった。自分達はNWOBHMから来たということ(それは伝統と正統のブリティッシュメタルの意志を受け継ぐことを意味している)を理解してもらう必要があり、新しいサウンドを支持してくれる援護射撃が必要だった。それができるのは退屈しきっているメジャーシーンに背を向けたアンダーグラウンドシーンの連中であり、新しい価値をこの産業メタル(=LAメタル)がはびこるシーンに提示していくんだというその戦略(意図的かどうかは知らない)が結果として彼らを成功に導いたのだ。
メタリカは流行には乗らなかった。過去を糧にし、未来を創造していたのだ。

2013/11/03

メタリカ vol.4



メタリカのメタルマニアっぷりは当初からレビュアー達からも注目されていたようだ。CDの日本盤の帯にはボーナストラックで追加されているカバー曲についても必ず触れられていたし後に発表されたカバーEP、カバーアルバム、そしてカバーライブなどで自らのルーツを種明かしする。
自分達のルーツとは何か。メタリカはどこから来て何処へ向かうのか。彼らが意図的にそれをしていたのかどうかは不明だが、このマニアックな、一見スラッシュメタルとは繋がりのないと思われる彼らのルーツ音楽趣向がメタリカが"バンドの物語"を多くのメタルマニア達と共有することに成功させた。スラッシュメタルという当時まだあまり知られていない新しい音楽で繋がれなくても、ルーツとしている音楽で繋がれることもあるかもしれない。メタリカは常にメタルマニアに向けて発信してきた。それはメジャー音楽を聴くリスナーではなく、あくまでアンダーグラウンドのメタルマニア達にだ。彼らはどちらのリスナーが自分達に力を与えてくれるのかを知っていた。例えるなら90年代の終わりにブルーハーブがやっていたことと同じことなのだ。自分たちがどこから来たかを明確にしなければ、自分達がなにをしようとしているのか、何処へ向かおうとしているのか、その意味を伝えるのは難しい。
ラーズのメタル愛というのはルーツとなるNWOBHMなどだが、彼はその情熱を方々に認められ有名になっていった。前回紹介しているMetal Massacreコンピレーションもそんな彼の情熱をレーベル主が買ってくれたからこそ実現したものだ。メタリカは確かに戦略的だったが、ラーズは常にフルボルテージの情熱を持ち合わせていたことも付け加えておく。